八年ぶりに会う父親に施術。
今まで、施術の時に、
「どれだけニュートラルになれるか」をやってきた。
それは
「こうするぞ」
「おれが治してやるぞ」
という氣持ちを使わないこと。
そういう心が強いと、「もらう」
もらうと言うのは、お客さんから悪いエネルギーをもらって
疲れたり、体調を崩したりするという
セラピストあるある な業界用語である。
お客さんも、長い目で観ると良い事にならず
共依存的関係になるように思う。
でもこれはなかなか難しい
僕もはじめた頃はよくもらっていて
ある時、全くといっていいほど貰わなくなった。
それはどうやるか?
「ただ観察する」心持ちで行うこと。
「ジャッジせず味わう、楽しむ」そうすればもらわない。
そんなわけで、あからさまな意図を
汚れを生じるエネルギーとして
使わない事を大切にしてきたが
それと共にぼくは
「なんでもオッケーな心」
も手に入れた。
それは僕の心を自由にしたことと同時に
施術の可能性も広げた。
通常の施術では得られない事がそこにはあった。
のだけど、同時に
「純粋に発する”意志”のチカラ」を
一緒くたに否定していたように思う。
やはりそこにもっと僕が関わりたい
ガツンとした結果を見たいな。
そうして、
純粋な自分から湧いてくる「意志」であるなら
それは素直に使えば良い。
そうだな と思った。
人はきっと神になりたい
でもまあ、今の体があるうちは難しいかも知れない。
とにかくなんでも、意志がなければ、成し遂げられることは無い。
果たして
ほら、いい感じの踵骨になったぞ\(^o^)/
描いた通りの。
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